株式会社 音成印刷


会社情報

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  • 概要・歴史
  • 社長挨拶

概要・歴史

会社概要

商   号 株式会社 音成印刷
資 本 金 2,000万円
代 表 者 代表取締役社長 真崎 俊夫
社 員 数 40名
創   業 明治38年
主な取引先 佐賀県庁、 佐賀大学医学部、
佐賀県立病院、 県立高等学校、
九州電力、
JAさが、 多久市役所、
佐賀県市町総合事務組合、小城市役所、
その他市町、など
主要仕入先 株式会社永池、 堤紙業株式会社、
株式会社キングコーポレーション、
九活印刷機材株式会社、
株式会社モリサワ
取 引 銀 行 佐賀銀行小城支店
佐賀共栄銀行小城支店
佐賀東信用組合小城支店
佐賀銀行牛津支店
営業案内
印刷・製本

広報誌/学校新聞/記念誌/報告書/詩集・文集/自費出版 会社案内/カレンダー/名刺/帳票/封筒/挨拶状/年賀状 ポスター/パンフレット/チラシ/ダイレクトメール 各種ノベルティ/POP/包装紙/各種製本

企画・デザイン

販売促進戦略企画/グラフィックデザイン/
デジタルコンテンツ制作

WEBサービス

ホームページ企画制作/webサイトデザイン/
ホスティングサービス



歴  史

音成印刷の歴史

1. 木版印刷からのはじまり

音成印刷は初代音成今朝太郎が、個人商店として明治38年小城町において木版による罫紙印刷から始まりました。明治44年には活字を導入し活版印刷を始め、店名も音成慶進堂活版所とし地元の印刷屋としてその基礎を築き上げました。

その後、今朝太郎は大正3年に弟末吉に活版所を譲り、台湾に移民し台湾総督府の仕事などを手がけ盛業だったそうです。

2. 営業基盤の確立

2代目末吉は社交家で人当たりがよく、小城、三日月、牛津、芦刈、南山、北山、多久と営業範囲を広め現在の営業基盤を築き上げました。
 昭和8年末吉の死去にともない、甥の熊一が3代目となり昭和10年に現住所へ工場を新築移転し名称を音成印刷所としました。
3代目熊一は活版印刷機を増設し主に官公庁、農協、商店等の一般印刷に専念しその技術と誠実な人柄で業績を伸ばし、昭和23年には合資会社音成印刷として法人化。営業の基盤を確立していきます。


3. 新技術への挑戦

昭和47年現住所に工場を新築しオフセット部門を設置。52年にはカーボン印刷部門を設置し、総合印刷業として前進しました。
昭和53年、熊一は第一線を退き、長男一郎が代表社員に就任し4代目となります。
一郎は何事にも全力投球で自分から率先して仕事をするブルドーザー型ワンマンな性格で、常に先を見据えて新技術へ挑戦していきました。
昭和56年10月佐賀市佐賀駅前に佐賀営業所・佐賀電算写植センターを開設。同年12月には日本語ワードプロセッサー(初代ワープロ)と電算写植機を結びつけるソフトを開発し、画期的な印刷革命システムとして全国的に注目を浴びました。

4. 4代目の意思をついで…

更なる躍進に期待がかけられる中、昭和57年1月一郎が志なかばで病に倒れ急逝。妻妙美が5代目に就任し、夫一郎の意思を引き継ぎました。
女性社長として繊細なところを持ちながら、何事にも積極的で明るくおおらかな性格で人望も厚く、積極的な営業活動を行うと共に、製本部門の拡大やカラー印刷の効率を図る大型多色機を導入し事業を拡大。
多久市役所通りに多久営業所を開設し営業拠点を拡大し、更に固めていきました。


5. 新時代の印刷会社をめざす

精力的に活動を続ける5代目妙美が平成2年2月、病気のため急逝。長女、井手真喜子が6代目代表社員に就任しました。
6代目、井手真喜子は株式会社へ組織変更し代表取締役に就任。制作・製版部門のデジタル化、また情報化時代への挑戦としてOPTI事業部を設立し、新たな印刷会社を築き上げます。



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